イタリア、パルマ近郊の農家の改築で、樹齢60年のイチジクの木を取り囲む増築を実施。カルロ・ラッティ・アソシアーティが設計。
バイオフィリア(自然を愛する心)とは、文字通り生物への愛情を示し、私たちが持って生まれた自然に対する愛着を表現するために使われる言葉です。20世紀に精神分析学者のエーリッヒ・フロムは、他の生物との接触が人に癒やしとやすらぎをもたらすと主張しました。そして、バイオフィリアという言葉を作ったことで知られる生物学者のエドワード・O・ウィルソンは、この自然との親しみが人類にとって、いかに重要かを説きました。
建築設計では、バイオフィリアの概念が幅広く利用されています。古代から、人類の自然への愛が、装飾的な美術やインテリアにおける植物や動物の描写を通じて表されてきました。水は古代インドとムーア風の建築で崇拝され、バロック様式の噴水として再び注目を集めました。一方、近代を代表する建築家フランク・ロイド・ライトは、自然からヒントを得て、植物が生い茂る、自然と一体化した建物を設計しました。
最近では気候変動に対する意識の高まりで、サステナブルな邸宅を選択することが増えました。自然の中で過ごすことが健康や幸福を高めるという科学的根拠もあり、バイオフィリアを生かした設計への関心が高まっています。新型コロナでのロックダウンも一因となり、家の中にいる時でも自然と触れ合うことが幸福につながると分かってきました。
不確実性の時代に、私たちは自然に目を向けることが増えています。ニューヨーク近代美術館の最近の特別展「新たなエコロジー:1960~70年代の米国建築設計における自然の優位性が示す建築と環境保護主義の台頭」や、デンバー美術館の「バイオフォリア:改めて想起される自然」(2024年8月11日まで)では、デザインスタジオ アランダ/ラッシュによる、自然の材料を利用した展示が開催されています。そこではリュウゼツランの繊維、クレオソート、黄麻で作られたバスケットや、バナナの葉を彷彿とさせる手描きのコットンペーパーを使った照明デザインスタジオ、ペレによるナナ・ルアのシャンデリアなど生物をまねたデザインなどが展示さえています。
タラー・ガブリエラ・カリロによる「カーサ・ピエドラ(石の家)」はメキシコのアカプルコの岩だらけの風景を設計に取り入れている
バイオフォリック建築はさまざまな意味を持ちえます。その場所特有の自然を取り入れた建物や、利用者の幸福を十分に考慮した建物もどちらもそれらの考えを反映しています。メキシコの建築家ガブリエラ・カリージョ氏の仕事では、これらの側面が中心となっています。「私には自分の建築にその土地の風景をさまざま観点から取り入れたいという思いがあります。」と同氏は述べています。
カリージョ氏の事務所、タラー・ガブリエラ・カリージョの「カーサ・ピエドラ(石の家)」は2020年にメキシコ南部の太平洋沿岸アカプルコの丘にある巨大な花崗岩の露出部の周りに建設されました。この家は自然と分離するのではなく、自然と結びついています。岩層に組み込まれた洞窟のような入口の階段は、湾を見下ろす開放的な娯楽スペースにつながっています。大きな自然の岩を基盤としており、まるで岩が家を支えているような錯覚を与えます。風通しに加え、考慮されつくした建物の配置や向きがエネルギーの消費総量を押さえます、太陽光発電パネルによる再生可能エネルギーにより水処理システムが利用できるため、環境への負荷がさらに軽減されます。
ベトナム、ボ・トロン・ギア・アーキテクツのハ・ロン・ビラは壁の開口部に木が植えられ、快適な風通しと日陰をもたらしている
ベトナムでは、ボ・トロン・ギア(VTN)アーキテクツが、人口密度の高い都市での自然と関わる方法として、バイオフォリアを取り入れた住宅を建築しています。同社がベトナム国内で展開する住宅シリーズ「木の家」は、同国における都市の急速な成長に対応して、その土地特有の木を取り入れ、都市に住む住民の生活を改善しています。そのうちの1つ、北部の海岸都市ハロン市で2020年に建てられた住宅では、6階建ての建物前面すべてに熱帯の木々が生い茂っています。室内の居住空間とブリーズ・ソレイユ壁(日よけ)との間のスペースに木を植えることで、熱帯性気候に不可欠な換気と日陰の両方を提供し、自然から恩恵を受けることができる構造となっています。
同じ熱帯地方でも、ブラジル中央部のゴイアニア市では、建築スタジオ ベゼラ・パノビアンコのエクスペディト・ベゼラ氏とルーカス・パノビアンコ氏が依頼者から、海岸のオアシスを思い起こさせる家の設計を依頼されました。2023年に完成した「オアシス・ベンチュ(風の強いオアシス)」は「庭のある家ではなく、庭に作られた家」だと建築家は言います。中央の庭園を通る曲がりくねったバイア大理石の小道が、庭を取り囲んで配置されたリビング、ダイニング、寝室をつないでいます。ここでは屋外と室内の境界はあいまいです。そのかわり、薄い亜麻布のカーテンと軽量シャッターによってしきられています。緑の草木や茶色の花崗岩などの天然素材が家中に広がっています。
塀のかわりに、樹木の壁でプライバシーを維持する
バイオフィリックを取り入れた家はもちろん熱帯地方に限定する必要はありません。ロングアイランドの2つの半島の間に位置し、ニューヨーク市中心部から東に車で約3時間のシェルター島には数千エーカー(数十平方キロメートル)の保護された湿地があり、多様な生物が生息しています。コーニングアイゼンバーグ・アーキテクチャーは、約10年間この島を訪れる4人家族のために、休暇用の別荘を2022年に設計しました。蒸し暑い夏と身を切るように寒い冬に耐えることができ、周囲の自然を感じられる邸宅です。
木々の間にある2500平方フィート(232平方メートル)の家は道路からはほとんど見えません。木製のベランダが水辺まで張り出しています。家のほとんどは塗装されていない杉材で建てられているので、気候条件の変化に適応し、炭素排出量も少なくてすみます。「屋内は経年変化と共に木材が豊かで深い色合いになり、屋外ではすぐに灰色に変わっている」と建築家のジュリー・アイゼンバーグとハンク・コーニングの両氏は述べています。自然光や自然の眺めを失わず、かつプライバシーは確保されています。採光窓からセラミックタイル貼りの台所に日光が入り、木製のウッドスラットからは西向きの部屋の眺望を損なわずに、光を取り入れることができます。
我々がバイオフィリアについて考える場合、同じ空間を共有する植物、昆虫、微生物、動物など生態系全体を考慮する必要がある」とイタリアの建築家カルロ・ラッティ氏は述べています。また、「同じ空間に住む生物について考え、建築がどのように生物のように機能できるかを考えることが私たちの仕事の大きな部分を占める」とも述べました。2021年そのラッティ氏により、イタリアのエミリア・ロマーニャ州パルマ近郊の古い農家が住宅として改修されました。「ザ・グリーナリー(豊かな緑)」と名付けられたこの家は、樹齢60年のイチジクの大木を中心に建てられました。その木が「家族の暮らしを見守る」とラッティ氏は述べています。天窓、床から天井までのガラス窓、光が取り込む穴空けレンガ、片持ち梁の耐候性鉄鋼の階段が、中央の3倍高い空間全体に視覚的連続性をもたらします。
バイオフィリアを考慮した建築は生物多様性を尊重しつつ、私達人間の幸福にも関わっています。建築家カリージョ氏が言うように「ひとつひとつは小さいが、影響力の大きい行動」こそが、最終的には思いやりのある建築につながるのです。
Photos: Delfino Sisto Legnani and Alessandro Saletta, DSL Studio; Rafael Gsamo; Hiroyuki Oki; Lucas Panobianco; Michael Moran Photography.